言わずして伝える、オーラをまとう_T.S

T.S

神戸市垂水区で生まれる
神戸科学技術高校サッカー部卒
立命館大学サッカー部卒
大手商社に勤める

CHECK POINT
✔️全国大会している名門高校サッカー部に入部する
✔️高校2年生でヘルニアを患い、7ヶ月サッカーを離れる
✔️就職との天秤のなか、大学でもサッカーをやることを決意する
✔️主務としてチームの評価制度を作る
✔️面接に行った5社から全て内定をもらう

 

Q.高校はどこでサッカーしていたの?

神戸科学技術高校サッカー部というところでやってました。実は、高校1年生と高校3年生では瀧二破って全国大会出場している強豪校なのです。同級生にもJリーガー稲垣雄太(関西国際→町田ゼルビア→びわこ)、伊佐耕平(大阪体育大学→大分トリニータ)などがいます。

*瀧二 滝川第二高等学校のことで、現在日本代表の岡崎慎司選手をはじめたくさんのプロ選手を排出している名門高校。

Q.えっマジ?T.S君そんなサッカー凄かったんや。

ちなみに、小学校は全国で準優勝してるんですよ。同級生は関学サッカー部の主将とかしてましたし。でも、それがね、高校時代は高校2年生まではいい位置にいたのですが。高校2年生の時、ヘルニア患って7ヶ月サッカーできなかったんですよ。選手としてチームに貢献できなかった。高校はやりきれなかった。

Q.燃え尽きられへんかったんね。で大学でサッカーを続けた?

実は僕、片親で学費が厳しそうだったので、高卒で就職するか凄い悩んでいました。工業高校なのでトヨタ系のところいって仕事しても良いと思っていました。でもやっぱりサッカーまだやり切れてないなって思って。大学でサッカー部入って、選手としてどこまでやれるかやって自分の限界を見極めようと思って大学進学を決意しました。大学で追い抜かしたるって。

Q.俺も高校もサッカーやろうと思って体験入部行ってみたことあるねん。推薦の選手が一杯おって、人数も多くて層もかなり厚いからサッカー続けるのやめたんよ。大学サッカーって人数も多いしかなりレベル高いよね?

150人規模のチームだったのでかなりスタメンは遠かったです。上手な子がたくさん入部してきました。でも上手い奴らでも、走るのダルがったり、愚痴こぼしている子も多くいたので、僕は、練習は手抜かんとこう思てやってました。サボる視点は一切なかったです。一番最初にグラウンド入って、最後までやろうと決めていました。もちろん雑務も。サッカーできることだけでありがたいことだと思ってましたから。でも頑張ってもスタメンは遠かったですけど。

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Q.サッカー部で主務してなかった?

3回生になった時に部内の役割を決めるんですけど、そこで副務となって4回生は主務になりました。皆サッカーが上手くなりたくて部活やっているので、基本的には副務とかの仕事嫌がるんです。だから、投票して決めてました。その投票の9割が僕に入ったのです。ちなみに主務やりながらでもプロ選手となった人はいるのですけど。ちょうど、そういう副務の仕事をこなすようになった時ぐらいからですかね、ダメな部分でもあるんですけど自分が勝つことよりもチームが勝つことを考えるようになっていきました。

Q.主務として取り組んだことは?

具体的には、自分のプレーを見てもらえているか?

部員150人いたのですが、1人の指導者が見ることのできる人数は25人までと言われてるんです。監督コーチは2人しかいなかったので完全にキャパオーバーでした。いいプレーした次の日に自分がスタメンの名前がなかったりするとモチベーションが下がるじゃないですか。でも、外部コーチ等は金銭的に増やすことが無理でした。だから、朝から晩まで行われている練習を幹部誰かが必ず1人は見る。監督コーチが見きれなかった部分をみる。監督に評価を届ける。というルールを作りました。

幹部は自分の練習もあるのに、皆の練習も見なあかんくて大変だったと思います。ただ、プライベートの時間も犠牲にしてやってくれたので、幹部が背中で見せる行為みたいなものが、結果チームの一体感をもたらしました。

Q.同じ職場で、全然仕事せーへん奴が、自分よりよーけ給料もらってたら嫌やもんな。評価の平等性か。おもしろい取り組みやね。

サッカーをひたすら上手くなること考えたり、チームが強くなることをひたすら考えた。そいういう時間は就活や社会人生活でも影響あえたえているかも。サッカーがある意味下手で良かったも。

Q.T.S君、えーこと喋らすと、どんどんタメ口なってくるな。

すいません。

Q.さっき、就職ってワード出てきたけど、一般学生と体育会学生の就活って何か違うとこあった?

体育会学生って就活では優遇されているイメージですが、僕は体育会学生って、打ち込むことがあることがあるってことに慢心している学生が多い気がしています。悪く言えば、使えない人間も多くいると思ってます。才能だけでやってきてる人も多い世界なので意外に泥臭さがない子が多い。

いま部活できているっていうことが、どういうことなのか?とか、自分から部活とったら何が残るのか?なんてことは試合出ている人や出ていないない人…誰にでも考えることが出来ると思うんです。逆に、そういうことを深く考えている人間は、人間的な幅を感じますよね。

Q.確かに、体育会出身のビジネスマンて、スポーツの経験を力に変えていく者と、全然頑張られへんやつと二分化されるかもね。それでも、T.S君、人気の大手商社に内定ととれたのは凄いね。

僕は就活の時期、部員全員の練習を見ないといけなかったので、朝から晩までグラウンドにいないとけませんでした。僕を含めて幹部は合計7人いましたが、他は全員プロ志望だったので就活してなかったのです。僕には就活も大切でしたが、サッカーをやりきることも大切でした。何より、いいだしっぺの僕がルールを破る訳にもいかなかっですし。

そこで、受ける企業を絞ることと、時間を割かれる説明会やOB訪問にはいかないことを徹底しました。面接では説明会やOB訪問に来ていないことを突っ込まれることもありましたが、就職サイトはしっかり読んで行きましたし、出来ることはやっていったので堂々と振る舞いました。あとは、筆記テストの準備を必死にやりました。点数とれればうかるかも?って思って必死に信じて勉強やろうと。SPIとか傾向の問題はほぼやったので、筆記試験はほぼ通りました。結果的には、9社にエントリーして4

社筆記で落ちました。5社面接を受けましたが5社とも受かりました。T自動車、Kエンス、Mタルワン、Fリテーリングなどです。

説明会いって安心している時間はなくて、中身を磨くことに時間をかけました。部活真剣にやっている人間はそんなとこも本当に頑張っているんだということを言わずして伝える、オーラをまとう。そういうことが重要だと思います。

Q.社会人として働き始めて3年経つけど、どんなこと感じる?

入社することがゴールの人間が多いんだなって良く感じます。高学歴の人間が多くて頭は良いかもしれないけど、それで満足しちゃってる人間が多い。モチベーション高い人間が多い環境の中でできると思ったけど自分のことを優秀と勘違いしている人間も多い。2−6−2の法則なんていいますが、本当に組織が違えど同じなんだなと。

なんかどんどん発言が鋭くなってきたね。T.S君の真骨頂の社会人編と恋愛編で聞くとするわ。さぞ恋愛のテクニックもずば抜けてるんやろうから興味あるわ。

次回T.S〜社会人・恋愛デレデレ編〜乞うご期待〜

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友達作りではじめたサッカー_呉屋 大翔

関西学院大学サッカー部からガンバ大阪へ 呉屋 大翔 のルーツに迫る 

 

Profile

所属 ガンバ大阪
背番号 23
ポジション FW
身長・体重 177cm/68kg
代表歴 13,14全日本大学選抜
経歴 けやきFC・ヴィッセル神戸Jrユース・流通経済大学附属柏高等学校・関西学院大学

 

—いつ頃から、サッカーをはじめましたか?

小学校に入って1年生の時は何もやっていませんでした。同学年に友達がいなかったんですよ(笑)それでお母さんに、何かスポーツでもしたら?と言われていたんです。その時に、隣に住んでいた2年生の人がたまたまサッカーをやっていて、誘ってくれたのがきっかけですね。

 

—両親がサッカーをしていた訳じゃないんですね。

両親は全然スポーツやってないです。最初は本当に友達作りでサッカーを始めました。隣に住んでいた友達が野球を誘ってくれていたら、きっと野球をやっていたと思います。たまたま誘ってくれたのがサッカーだったんですよ。

 

—それが、けやきFCなんですね。試合に出始めたのはいつ頃からですか?

小学校3年か4年くらいの時に、初めて地域の選抜みたいなものに入って。その時からちゃんとサッカーをやり始めました。それまではしょっちゅう練習をサボったり、練習に行くふりをして違うところに行ったりしていましたが、選抜に入った後ぐらいから、どんどんのめり込んで行きました。

 

−スポーツ以外に小学校時代没頭したことはありますか?

そういうものがあればいいんですけど、サッカー以外には没頭したものがありませんでした。もう、ずっとボールを蹴っていました。それ以外のスポーツは何もできませんでした。球技もそうですし、野球もそんなにできないし、何もできなかったです。サッカーだけでした。

 

—そこからどういう経緯でヴィッセル神戸のジュニアユースに行くことになったのですか?

小学校6年生の時、ヴィッセル神戸のスクールに行っていた時に、たまたまジュニアユースのスカウトの人が見に来ていて、声をかけてもらったのがきっかけです。スクールの時にスカウトされました。でも本当はガンバ大阪のジュニアユースセレクションも受けていたんです。それは落ちてしまい、それでヴィッセルに行くことになりました。

 

—小学校時代のサッカーとサッカーの上手な子達が集まってくるヴィッセル神戸、違いはありましたか?

うーん…

 

—その中でも上手だったと(笑)

いや全然!中学の時はあんまり試合に出ていないですからね。ヴィッセルのジュニアユースにいた人達は、小学校の選抜で一緒だった人が多くてみんな知り合いのような感じでした。だからそこまで違和感とかはなかったですね。でも、土から人工芝に変わったのは、最初はめっちゃ楽しかったのを覚えています。毎日芝でサッカーできて本当に良かったです。

 

—中学時代、勉強はどうでしたか?

勉強は塾とかも全く行っていなかったのに、意外とできたんですよ。ヴィッセル神戸自体に「テストの点数を報告しろ」みたいなシステムがあって。だから結構中学の時は勉強も頑張っていたというか、そこそこできていましたね。問題は高校から(笑)

ヴィッセルユースに上がれなくて
帰り道で号泣した

 

—ユースに上がるか、高校をどうするかというところが結構大きい分岐点だったんですよね。

そうですね、ユースに上がりたかったので、上がれないって言われた時に…
ヴィッセルのジュニアユースに所属している人達は、夏に個別に呼ばれて、スタッフ何人かと親と選手と進路の面談をするんです。そこでユースには上がれない。と直接言われたので、結構きつかったです。帰り道の車でめっちゃ泣いたのを覚えています。めちゃくちゃ悔しかったですね、あれは。

 

—その中でどういう進路の選択肢がありましたか?

ヴィッセル神戸のスタッフの方に関西での強豪校、いわゆる滝二(滝川第二高等学校)とか大阪桐蔭とかは紹介できると言われて、実際推薦みたいなものは頂きました。でも滝二や大阪桐蔭に行っちゃうと、知ってるじゃないですか僕のこと。「ヴィッセルのユースの子や」っていうのを知られるのが嫌だったのです。
当時は、本当にガキで反抗心があったので、絶対にヴィッセルのユースより強いところに行きたいという気持ちがありました。
その時にちょうど、大前元紀選手などで有名な流経大柏高校サッカー部が全国大会三冠を達成していたんですよ。それを見ていたので、絶対ここに行きたいと思って。なんのオファーとかもなく、自分でここに行きたいと言って、わざわざ千葉までセレクションに行きました。

 

—親には反対はされませんでしたか?

いや、めちゃくちゃ反対されました。特に母親には「もう頼むから大阪桐蔭とか近場にしてくれ」と。試合も観に行けないからと言われましたけど、そこは僕が「絶対に譲らん」と言って、最後は父さんが「じゃあ行って来い」と。

 

—どんどんレベルの高いステージを求めいくというのはインパクトがありますね。入部した時はどれくらいの位置にいましたか?

1年の時はトップの試合に出るとかは考えられないほどの選手層でした。上下関係も強かったので。1年生が試合に出るとかはそもそもありませんでした。でも僕の同級生で一人だけ1年生の時からFWで試合に出ている子がいたのですが、その子だけはずっとトップにいましたね。
僕やみんなは1年生チームでした。大体3年生にならないと公式戦には出られないんですけど。だから1年2年の時は一試合も出てないですね。僕とかは特に一試合も絡んでなくて、3年になってようやくちょっと試合に絡みだした感じでした。

 

—やはり、監督の采配や選手との相性はありますよね。

そういうのも少なからずあったと思います。最後の高校サッカー選手権で僕たちの代は千葉県大会の決勝で負けたのですが、千葉県予選には僕は1分も出てないですからね。1試合も出られずに終わりました。それが悔しくてまた大学でやろうと思いましたから。本当に上手くいかないことばかりですね。

 

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