興味や気持ちがあるならとにかく本気でやってみて欲しい_遠山 大貴

遠山 大貴

1989年
埼玉県上尾市
上尾市立大石北小学校
上尾市立大石中学校
川越東高校
筑波大学蹴球部
学生サッカー連盟幹事
某サッカークラブ勤務

CHECK POINT
✔️ 高校時代は1時間の自転車通学していた
✔️ 塾に通わず独学で筑波大学に合格した
✔️ 蹴球部から自らの意思で学連に参加した
✔️ 入部時は7軍だったが最後は4軍でIリーグの試合に出場した
✔️ 現在はプロサッカーチームのフロントで働いている
✔️ サッカーコンテンツの可能性を信じている

 

Q.小学校からずっとサッカーやってきたの?

父が野球出身なので、小さい頃は親とじゃれて野球もやっていたと思いますが、気づいたら幼稚園からサッカーをはじめていました。中学校は埼玉県で優勝するようなクラブチームに通っていたので、学校の部活としては陸上部に属していました。高校進学は自分のレベルを考えると、サッカーだけで選ぶと後々大変になるだろうと思い、勉強の方もできる環境の高校に進みました。その時から大学進学は筑波大学に行きたいなというのは頭の片隅にありました。

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Q.筑波大学へは塾も行かずに進学したという噂だけど。

高校は最寄り駅から40分くらいの所にあって、みんなスクールバスで通うのですが、バスの発車時間に左右されるのが嫌で、片道1時間位かけて実家から自転車で通っていました。1年生の時の3社面談で、筑波大学を進路に考えていることを先生に伝えたのですが、担任の先生には無理だって言われて。それにカチンときて。絶対に行ってやるって思い、そこからは朝早く学校行って、勉強して、部活やって、部活の後自主練して、学校が閉まる前の9時頃まで学校で勉強して家に帰るっていう生活をずっとやっていました。家庭環境的にも塾や予備校には行けなかったです、浪人もできなかったので頑張るしかありませんでした。

そしたら、勉強の方はメキメキと結果が出てきました。サッカーの方はチームがあんまり強くなかったので1年生の時から試合に出させてもらっていました。なかなか結果は出ませんでしたが、良くも悪くも文武両道といった学校でした。

Q.完全な努力型やね。どうやったらこんな自立した子どもを育てられるのだろうか…(笑)筑波ではサッカーやろうと思っていたの?

高校でやりきれなかった所もあったので大学では体育会でサッカーをやりたいと決めていました。でも、早稲田や明治などはセレクション受からないと入部できないんです。自分の実力ではセレクションに受からない可能性が十分考えられたので、他にレベル高い所は、筑波だなっていう発想でした。

Q.筑波大学蹴球部って凄い伝統あるイメージだけど?スポルト出ていた風間さんが当時監督だったっけ?

筑波の前身が東京教育大学なのですけど、その時から大学サッカーをずっと引っ張ってきた学校です。プロの選手もたくさん排出していますし、サッカー界で働かれている方もたくさんいます。ちょうど、風間さんが入学した1年目から監督をして下さっていました。

風間さんは、結構他のチームとは異質のサッカーだったかもしれないです。優勝はできませんでしたけど、魅力的なサッカー、面白いサッカーをしているなぁと見ている人は言ってくれていました。例えば、ボール持っていれば点とられないでしょ?っていう考え方がベースで、あとは止めて蹴るっていう基礎技術いくらでもまだまだ上達するっていう考えで教えられていました。止めて蹴るところの価値観が変わったって、プロに行った選手も皆口を揃えて言いますね。

Q.俺なんて中学まで(だけ)しかサッカーしていないのにもうこれ以上蹴るのも止めるのも上手くならない思ってたわ。もう何回も蹴ってきたやんって。やっぱ、大学のレベル高いところでも究極はそこなんやね。中華料理のチャーハンみたいな感じやね。

 自分もやってきたつもりでしたけど、大学はいって最初の1年で一番うまくなった気がしましたね。下手なりにまだまだ上手くなれるっていうそういう感じでしたね。アンダーの日本代表の子もいれば、自分みたいに強くない高校から入ってくる子もいるんですが皆がモチベーション高く上を目指していた集団だったので居心地は良かったです。

Q.1学年40人くらいかな。4学年で150人以上のチームがよくまとまっていたね。

筑波大学ってサッカーの推薦は5人程度で、それ以外は一般からの入部になります。それでも最後は一般の学生からもトップ試合に出る選手がいるのでそういう意味では平等にチャンスがある事が一つのモチベーションになっていたと思います。

あと、新一年生は4月5月6月とフレッシュマンコースというのが設けられています。毎日朝6時15分からみんな一緒に練習するのですが、最後は夜中0時に筑波大学を走って出発して筑波山をみんなで登って朝日を見てフレッシュマンコースが終了になります。そこで正式に入部できるのですが、それを乗り越える為にチームメイトと支え合ってきているので、よっぽどズレている人間がいないという点も大きいかもしれません。

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Q.遠山君とはじめて会ったのは学連の幹事長をしていた時でしたけど、学連に参加するようになったきっかけは?

筑波は1年生はまずプレーをしっかりやりなさいという感じなので学連に参加する者はいませんでしたが、2年生からは1人学連にメンバーを出す必要がありました。自分達の学年では学連を希望する人間がいなかったので2ヶ月くらいチーム内で話し合いが続きました。その時に、自分がどうやったら蹴球部に貢献でききるだろう?ということを考えた結果、学連に行くのもありだろうと思えたのがきっかけです。もちろんサッカーをする為に部活に入ったという部分で葛藤はありましたが、学連やりながらでもサッカーをすることはできたので決意しました。またサッカーの仕事にも興味があり、いい加減な人間に任すくらいなら自分がしっかりやろうと思えたこととチームメイトの思いも感じ取れたのも大きかったです。

Q.それにしても筑波から学連のあるお茶の水までは遠いよね。

2年生の時は学生幹事程度だったので必要最低限しか行っていませんでしたが、3年生から副幹事長、4年生からは幹事長を任されてからはほとんど毎日に近いくらい筑波エクスプレス乗っていましたね(笑)朝連やって、学校いって、学連やって、12時位に帰ってくる生活やっていましたね。でも自分は最初、サッカー部では一番下の7軍にいたのですが、最終的には4軍まで行けてIリーグにも出場することができました。幹事長やりながら選手としてやりきった人は自分の前後ではいなかったので、満足まではいかないですけど充実感はありましたね。

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Q.秋葉原と筑波を往復するのは日帰り旅行やからね。そして筑波大学はむちゃ広いからね。筑波に営業行くのは気をつけろって社内でなってるわ(笑 そんな忙しい4年生の日に、待ち合わせ1時間近く遅刻してきた営業マンがいた?

あれは衝撃でした。
Q.これは僕(スターフォーム山下)の話なのですが、はじめてアルバムの営業で連絡無しの大遅刻した話なので強烈に覚えてる。前日たまたま幡ヶ谷のおかまバーで飲んでたら、知らない人たちの誕生日パーティーみたいなのがはじまって絡まれて飲んでたら意識ぶっ飛んでしまって。気づいたらマンションのトイレでゲロはいて寝てた。目覚めたら既に30分遅れで、すぐに遠山君にまだいる?って電話して、タクシーのって新宿まで行った。1時間くらい遅刻したのに待っててくれて。あれはほんと申し訳ないことしたわ。

喫茶店に入って、ウェイターから注文を訪ねられたのですが、お金を払うから水をくれって言っていたのが印象的でした(笑)正直あれをみてヤバいなって思ったので、興味はありましたけど、おかまバーには未だ行ったことないです。

Q.普通のバーやねんけどな。行くもんじゃないよ。ごめんなさい。でも部活のアルバム作ってくれてよかった!

いや〜あのアルバムは味があって良いですよ。みんな彼女には見せられないって言っていますけど。作って良かったです。

Q.何百チームとアルバム見てきたけど、あのアルバムの衝撃度はトップ10入りするな(笑)ここでも公開したいけどできないからやめておくわ!そして大学を卒業して現在の職場へと続いていくわけだけど、どういう経緯でサッカー業界に足を踏み入れたの?

サッカー業界で働きたいという思いは持っていたのですがオープンな募集はなかったんですよね。なので就活をして2社くらいからは内定を頂いていました。そんな中、Jリーグやサッカー協会のアルバイトとかもしていたので、サッカーの仕事に就きたい的なことを結構で口に出して言っていたんですね。そしたら、夏くらいにクラブチームで働いていている筑波の先輩から部の監督に連絡があって、その時に僕をクラブに紹介してくれていたので9月頃には内定頂いていました。通常であればシーズンが終わった後に動く求人なので有り難かったですね。

Q.あれからもう5年働いてるんか。仕事はどんな感じ?

最初は普及部と育成部に所属していました。自分もサッカーに育ててもらったというのがあるので、子ども達に環境を作りたいっていうところで凄いやりがいを感じていました。学連で仕事をしていたので、そこそこ自分でもやれているなって思ってた時に、先輩の部長に自分仕事でできてると思ってるけど全然できてないからねって言われちゃいまして。それが自分の中で響いて、まだまだだなぁと感じて仕事に向き合うきっかけになりました。

その後、4年目で強化部に呼んで頂きました。いつかはトップチームの現場をやりたいと思っていたので有り難く感じました。仕事内容も、選手の契約とかフロント側だったのお仕事だったのですが、当時25歳とか26歳の年齢でやっている人を見たことがなかったので、任せていただきびっくりしたのを覚えています。今は去年今年と続けてやらせてもらっていて、トップシーズンのシビアな世界の醍醐味に魅せられているような感じです。試合に勝てば人が入って、ファンやサポーターが喜ぶ姿があって、もちろん負ければその反対で。その瞬間瞬間で形を変えていくので凄くやりがいがあります。

Q.かなり忙しいんでしょ?

強化部のスケジュールはトップチームと一緒なのと、今年はACLとかJ3もあったのでほとんど休みのない月もありました。その辺は理解のある方じゃないとお付き合いできないかもしれませんね(笑)

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Q.学生でスポーツチームで働くことを望んでいる人間って多いけど、そういった方に言ってあげられる心構えとかはありますか?

最近僕も学生向けに講演やらさせてもらったりもしましたが、やっぱりこの仕事は、好きなだけじゃできない仕事だと思います。でも、やっぱり好きじゃないとできない仕事かなとも思っています。

業界としては、スタッフの福利厚生、給与体系とかはまだまだ不十分だと思います。だから良い人材は流れて来ないって言われてはいますけど、そこは確かに不十分だとは思いますけどその辺りを自己犠牲であったりチームの為に貢献する気持ちがないと続けられないんじゃないかと思います。例えば、日本代表の選手が合宿行くのを送ったりするのですけど、オフの月曜日に送ることが多いんです。でもそういうのは全然苦じゃないし、自分がそれをやることで選手が少しでも良いコンディションで合宿に参加できて良いパフォーマンスしてくれたらそんなの何でもないじゃんて思えます。そういう発想や気持ちになれるかなというのは考えてみて欲しいと思います。

あと、自分なんか何できるわけでもないし、特別語学ができるわけでもないし、パソコンができるわけどもないけど、そんな自分でも色々と仕事を任せてもらって階段を登らさせてもらえる仕事だとも思います。なので、自分は体育会系じゃなかったって人も、部活ばっかりやってたしって人もいるかもしれないけど、諦めずぜひやってみて欲しいと思います。やってみてダメだったら仕事変えればいいし、家族ができてお金稼がなくちゃならないならその時に仕事変えればいいし。興味や気持ちがあるならとにかく本気でやってみて欲しいと思いますね。

Q.スポーツチームの運営ってどうやったらもっと良くなるかな?

興行としての規模を大きくしていかないといけないですよね。野球とかのように。自分は、強化のところですので、どれだけ強く愛されるチームを作っていけるかって部分で勝負しています。やっぱり勝てばお金はいるし、人も来てくれますし。もちろん勝てなくても愛されるチームであればたくさんの方が応援してくれます。法人の営業だったらどうやったら契約がとれるのかという部分になりますし。各々のセクションで役割を果たすことで、興行としての規模を大きくしていく必要があると思います。

今のはクラブ単位の話ですけど、Jリーグが放映権の部分で騒がれているじゃないですか。あれも一緒ですよね。あのお金はクラブにも分配されるわけですから、サッカー界としての興行を大きくする部分では一緒だと思います。

サッカー界やサッカーの仕事はコンテンツとしてのまだまだポテンシャルはあると思っています。業界を悲観する方もいらっしゃいますが、自分は可能性のある世界で仕事をできて幸せだと思っています。

なるほど。運営を良くしたいとか興行を大きくしたいという想いとかゴールが一緒で、そういう未来を作ろうぜっていうベクトルがあっているから、しんどいことも大変なことも仕事としてこなせるんやね。そして、やりがいや幸せ、充実感に繋がっていく。勉強になりました!角度や役割は違うけどスポーツ界よくしていきましょうありがとうございました。

 

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