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プリティー長嶋はいなかった_清水 聖大



清水 聖大

1992年生まれ
三重県四日市市出身
内部小学校
内部中学校
掛川西高校
立教大学体育会硬式野球部
大手アパレルメーカー勤務

CHECK POINT

✔️中学野球の同級生は日ハムの谷口雄也
✔️高校野球では甲子園を経験
✔️立教大学には一浪して入学
✔️入部当社は先輩が厳しく、居場所を見失う
✔️ファーストペンギン的な存在になる


Q.野球はいつから?
三重県の工業地帯で育ったせいか、まわりにはブラジル人などの外人が多く、幼少期はどちらかというとサッカー子でした。しかし父が高校まで野球をしていた影響もあり、5〜6歳くらいから野球を始めました。
小学校1年生から6年生までは内部ライオンズという小学校の野球部に所属しており、ポジションはピッチャーでした。中学時代は、将来プロ野球選手になる同級生がピッチャーをやっていたので、ピッチャーやったりキャッチャーやったりしていました。

Q.えぇ?将来プロになる野球選手ってだれ?
日本ハムの谷口雄也君です。

Q.おお!あの剛力彩芽似の選手ね!清水くんは試合には出ていたの?
中学もずっと試合には出させて頂いていました。打つ方もまぁまぁだったので。高校で野球推薦をもらえるレベルにはありました。

Q.高校野球の推薦入学ってどんな感じでオファー来るの?
僕の場合は、同級生がプロに注目されていたので、じゃんじゃかスカウトの方がいっぱいチームに押し寄せてくる状態でした。なので他のチームより目に留まりやすい環境だったと思います。その後、目に留まった選手は、チームの監督であったり、部長であったり、スカウトマンみたいな人から野球推薦の声をかけていただける感じでした。

Q.なんで掛川西高校野球部を選んだの?
最初は自分のことを可愛いがってくれた先輩がいたのもあって、ヤクルトの由規とかが所属していた、仙台育英高校野球部に行きたかった。推薦の案内も来ていたのですが…先輩が少し問題起こして辞めちゃって、推薦制度もなくなり、寮費も自己負担となったので、一番最初に声をかけてくれた掛川西に決めました。県立でお金の負担も少ないしという部分も魅力でした。

Q.高校野球は監督が凄く厳しいイメージあるけど?
掛川西の野球は完全実力主義でした。監督の理念や方針は、”我々は技術ではなく頭脳を使って勝とう。”という感じでしたので、そういうのを体現している選手が試合に使ってもらえていました。1年生2年生はケガしながらの控えピッチャー。3年生は野手(サード)に転向して、野手として試合に出ていました。

Q.甲子園には出場したんやったっけ?
2年生の春に出場しました。宮城県代表の利府高校ってところに1回戦で敗退でしたけど。自分は控えピッチャーだったので、ベンチには入りましたが、マウンドに立つことはありませんでした。

Q.大学野球はどういう経緯で立教?
1年間浪人して勉強して立教大学に行きました。浪人時代は364日勉強していました。残りの1日は徹夜マージャンしていた。偏差値30位でしたが、1年で偏差値60位にはなれるみたいです。

Q.364日のくだりは微妙やな。立教大学野球部はすんなりはいれるの?
当時は希望者は誰でも入部OKでした。自分たちの代は80人位の入部者が入ってしまったため、部のお金のやりくりとかも大変だということになり、現在はセレクション制度になっています。





Q.華の東京六大学野球。どうやった?
大学野球は、1・2年生時に先輩の自分に対してのあたりが結構キツくて、ふてくされていました。毎日13キロ位は走らされていましたし、自分は推薦入部でなくて年も一つ上ということもあり、一番に切られる立ち位置でした。有名大学で野球をやるのは、OBのつても大切だと思いますが、60年ぶりに掛川西高校からの入部者だったので頼るところもたく大変でした。
子どもから高校生までは、比較的に上手いこと生きてきたので、初めてその時に甘い自分や、世の仲の厳しさを知りました。社会で生きていくのは大変やなって思いましたよ。

Q.プリティー長嶋はみた?
長嶋茂雄さんは見ていないです。長嶋一茂さんすら見ていないです(笑い同じ部活の繋がりは強い繋がりですし、就活とかでもあったらと思いますが意外にOBの方と関わることはありませんでした。





Q.大変だった1、2年生があったみたいやけど、3・4年生は部内で居場所をつくれた?
自分は、皆からファーストペンギンだよねってよく言われます。皆が思ってるけどなかなか出来ない、言えないことを行動にするタイプの人間で、そんな積極性をチームから求められていると感じました。
3年生の時に、チームがリーグ優勝あと何勝ってところまでいったんです。当時、バッティングピッチャーやっていましたが、やっぱり、優勝したい、勝ちたいって思いました。勝つならどうしようと考えました。今のチームは、野球が下手な奴はチームに何にも貢献してないなぁと思ったんです。下手な人間でも、還元できる長所を活かしたらなにかチームに貢献できるかもと思いました。サポートする人もやる気をだせば、試合出ている人間も本気になれる。
例えば、当時はスローガン等を決めたりするのは1軍の選手達でしたが、チームの方向性など考えて4軍の自分たちがスローガンを発信して決定しました。1軍はチームとして勝ちたいんだねって思ってくれたと思います。
試合に出られず、やる気の無いまま卒業するのではなくて、優勝したいね。勝ちたいね。って同期が言える環境で最後のシーズンをおくることができたのは良かったです。





Q.結果、大学野球はやってよかった?
いいこと、あんまりなかったですけど…厳しい世の中知れたって意味ではやって良かったと思います。もし大学野球やってなかったら、国会議事堂の前で”戦争反対”って言って拡張期もって叫んでたかもしれないですよ。
 
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