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京大アメフト部から仕事の原点を学んだ_吉田祐輔


吉田祐輔

伊丹の小学校・中学校サッカー部
関西大学第一高等学校アメフト部
京都大学アメフト部
モルガンスタンレー証券
現在はWantedly で勤務

CHECK POINT

✔️小学校では先生の転勤から親がサッカーの指導をはじめた
✔️山下に誘われてアメフト部に入部した
✔️高校時代は部活をしながら塾に通い、京大に現役で合格した
✔️京都大学ではアメフトに没頭した
✔️子どもが生まれた事が今の働き方に影響を与えた
✔️仕事では、やりきることと他人のせいにしないことを心がけている


Q.高校までは何のスポーツやってた?

小学校低学年から中学まで、学校のサッカー部に所属していた。自分が小学校4年生までは顧問の先生がサッカーをみてくれていたけど、その先生が転勤してからは、親の世代でサッカー経験のある人がサッカー部の監督やコーチをやるようになった。


Q.クラブチームやったらわかるけど、学校の部活で先生以外の人が指導するのは珍しいな。先生の土日出勤とか専門性の問題とかも言われているから、経験のある近所のおっちゃんが指導してくれるって言うのは…良いモデルかもな。

自分の親もその時から今に至るまで小学校で週末サッカーを教えている。ええ趣味みたいになってるみたいやわ。


Q.高校で俺と出会うわけやけど…なんで関大一高来たん?

市内の県立高校に進学するのが一般的な進路やったけど、まわりのメンバーとか環境がずっと一緒で、外に出たいと考えはじめた。親に相談すると、何校か学校を薦められて、その一つが関大一高やった。もちろん担任の先生とも多少話して、偏差値とかみながら決めていった。中学3年生からは塾も通っていた。


Q.高校ではなぜアメフト部に入ったの?

最初はずっとやっていたサッカー部を見に行った。強いって聞いていたけど、半端なく強くてさすがにレベルが違うと自分でもわかった。部費とか移動の遠征費も負担になりそうやったからサッカー部は諦めてた時に、変なやつ(インタビュアー山下)にアメフト勧誘されて。


Q.変なやつってなんやねん。将来的にアメフトやっていなかったら今の奥様とも出会ってないからな。いろんな意味で恩人やな。まぁでも、サッカー教えてた親はアメフトすること反対しなかったの?

*将来京大アメフト部時代のマネージャーと結婚することに

まず、自分はルールも含めて何も知らんかったけど、防具スタイルも格好いいし、高校からはじめるスポーツで周りとは差はついていないところも魅力的に感じた。親は意外にアメフトのことを知っていて、大変かもしらんけどおもろそうちゃう?関大一校も強いチームやしやってみたらっていう感じやった。


Q.吉田の親はほんまに、なんでも自分のやりたいことに賛同して耳を傾けてくれるな。ところで、アメフトは試合でてたっけ?

ポジションは最初はレシーバーを志望していたけど、足がめちゃ速いわけでもないし、キャッチとかもそんなに上手かったわけでもないので、ディフェンスの方が活躍の場所があるぞって言われて、DBやっていた。試合は2年生の時からローテーションとかで出してもらいはじめてたな。


Q.俺らの代は弱くて9月中頃に引退したよな。それでも、そのまま京大の建築学部にどうやったら現役でいけるの?(笑)

理系のクラスにいたけど、まわりの友達が受験する予定の人間が多かったからそれに影響受けて。学費もそのままいったら高いし、それやったら大学受験しよーって3年生になった時に決めた。部活があった時は、部活帰りの20時過ぎから1コマ、2コマ塾で授業受けてっていう毎日やった。引退後はもちろんフルで、学校も休みの日は13時間位は勉強してた。


Q.吉田みたいなやつがいるから俺らの代は部活弱かったんや。それにしてもその程度の勉強で、偏差値70以上あるところに行ける気がしないけど。

学力的に、京大は厳しいかも、阪大はいけるかも、神大やった大丈夫ちゃう?って感じで言われてた。センター受けたら、苦手な教科も点とれたから、挑戦してみてもええかも。って感じで受けたら受かったわ。無理でも、国公立なら最悪あと1年勉強しようって思っていた。


Q.もともと大学でもアメフトやる予定やったの?

サークルも含めて体動かそうって思ってたけど、部活やるならアメフトかなっていうのはあった。勧誘もされて、結局5月くらいには入部していた。
 

Q.高校のアメフトと大学アメフト部の違いは?

大きく2つあって、部活動としての方針とかカルチャーが違うのと。部としての体制が違うかな。
京大アメフト部は推薦もとられへんし、運動神経の良い人間ばかりが入部してくるわけではない。99%は大学ではじめてアメフトやりますって人間が集まる。もちろん部員勧誘は頑張るけど、普通にやっていたら立命とか関学に勝てるわけがない。よく言われていたのは、ここだけは負けへんとこ作れって。個人としても、チームとしても。その点で言うと、チームとしてはヒットを重視していた。練習でできないことは試合でできないって言われて、練習中もほぼフルヒットしてた。
あと、組織としてのコンセプトもここまでクリアにしてやるんやっていうのは感じた。勝つための戦略であったり、強い部分や弱い部分の把握、毎日の練習やその後の振返り。高校時代もスカウティングとかはやっていたけど、それ以上に徹底してやっていた。
二つ目は、どれぐらい部活一色になるか。それを支える体制が全然違った。朝ご飯と晩ご飯は毎日用意されているし、クラブハウスもあってアメフトに集中できる環境が整っていた。


Q.確かに俺も部活の練習現場にかなり足はこんだけど、京大アメフトのタックル練習をみた時はちょっと恐くて引いたわ。目の色が違うというか。本気度が違うというか。スタートラインが違うところから部活やってる覚悟みたいなのは見てて伝わってきた。全然話し変わるけど、大学アメフトやるのはどれ位お金が必要やった?

部費は月3万円くらいやったかな。遠方に試合とか行く時は別にお金が必要やったけど、頻繁に払った記憶もないな。あとは下宿の宿代と個人の生活費って感じかな。


Q.朝と晩たらふくご飯食べれて3万は安いな。親の負担もそんなにかかるわけではないし、その点でも部活に集中できる環境やね。でもあれなんやろ?みんな部活に集中して、留年が基本路線やろ?

そやな。ほとんどが留年して、就活して、就活が終わったら学生コーチになってチームをサポートするって感じやな。


Q.学生コーチまでの流れがきまってるのね(笑 )そういえば、吉田は建築学部やったのに、就職はなんでまたモルガンスタンレー証券に?
この業種に行きたいとうのはあんまりなくて、金融・証券ももともと興味なかった。当時の日興シティ行ってた先輩から説明会の声がかかって、足を運んだのがきっかけ。外資の投資銀行の話があって、とりえあえず給料が良いのと、年齢関係なく仕事を任されて成長できそうな感じがよいなぁと思った。モルガンは選考課程でするするっといってたまたま内定頂いた。ただリーマンショック前の一番バブッてた時やったから、その時じゃなかったら俺なんか採られてなかったやろうけどな。

Q.外資の証券会社はどうやった?

いつ解雇されるかわからない組織やから、必死やった。まわりの同期は英語もペラペラやったし、物事を論理立てて考えれる人だらけやったし。


Q.どんな仕事していたの?

業務は株式調査部ってところにいて証券とか株式のアナリストの仕事をしていた。特定の業界の会社の株が上がる、下がるかっていうのを機関投資家やどこどこファンドの人たちに電話やメール、直接会ったりで提供していく仕事やった。~以降業務評価の話は長かったので割愛~

Q.そこから数回転職したけど、吉田が今仕事選んだり働いたりする上で大切にしてることってある?

一つは働きがいの実感。長男が生まれたのは個人的に大きかった。もちろん本人が受けとってくれるかは解らないけど、自分が胸を張ってこんな仕事をしてるって言えるかは重要だと思った。もちろん業界の状況や先行きはしっかりと把握しておかないとって思ってる。
もう一つは危機感。初めの仕事から安定していない会社にいる。究極一人で生きていけるようにしなあかんって考えてる。だから仕事に慣れてきたりとか、安定してくると怖くなってくる。前の会社でも上の階層で仕事させてもらったけど、下から凄い突き上げられるわけでないし、上からめっちゃ怒られるわけではなかった。その安定感が恐かった。同年代とか凄い奴らいっぱいいるから、そういう意味でも不安になる。
自分は器用貧乏やから、このスキルこの分野で負けませんみたいのものが現時点でない。でもモルガン転職してから一貫してやってきたことは、徹底的に仕事をやりきること、まわりのせいにしないこと。この二つは大切にしてやってきた。そういう部分では原点を辿ると京大アメフト部から教えられたことは多かったと思う。

さいご、なにええこと言おうとしとんねん!

 
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