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大学生の可能性を消す3つの言葉_施 華光

施 華光(SE KAKO)

1991年奈良県奈良市に生まれる
奈良市立椿井小学校
奈良学園中学校・高校
立命館大学体育会軟式野球部
体育会本部役員
大手広告会社

CHECK POINT

✔️親が厳しかった
✔️小学時代は壁あてに夢中だった
✔️大学の進路は家族会議で決定された
✔️大学時代の仕送りは手渡しでもらっていた
✔️先輩に誘われたのがきっかけで体育会本部に所属することに
✔️フットワークを軽くすることで人生が変わった

 

Q.スポーツマジで才能なさそうやけどやってたの?

いやいやいや、そんなこと無いですよ。父親が凄くテニスが好きだったんですが、小学校2年生の誕生日にまだラケットは振れないということで、野球のグローブとボールをプレゼントしてもらったのが僕のスポーツ人生の始まりです。壁当てとかが楽しくて1日2時間とかやってました。


Q.1日2時間なら、そんなにやってないほうやね。

当時は地域で壁あてしている小学生なんていなかったのですが、僕が小4小5の頃にはかなりブームになって、全員が壁あてしてました。


Q.全員がね。壁あてのどのあたりが楽しかった?

壁がこーあって。でっぱりがこーあって。でっぱりにちゃんと当てるとノーバンとかでボールが返ってくる。当て方を返えて、逆シングルでボールとったり。かなり奥が深いですよあれは。


Q.話に浅さを感じるけど…ボール触ってたらもっと上手くなれたんじゃないの?

それがね、結構大変やったんですよ。家族は中国人で自営業やし、父親には絶対に逆らわれへん家庭やったんですよ。野球やりたかったのに、父親にお前はテニスやっていわれて、小4で明日香ユニオンズっていうテニスチームに入れられてたんですよ。下手やったからすぐに辞めさせてもらいましたが。その後やっとこさ入った野球チームも、お受験、お受験言われて小6で辞めさせられたんです。父親が受験しろいうたら逆らう選択肢は一切ありませんでした。


Q.父親が絶対っていう家庭も少なくなったからな。

遊びたかったけど。他とは違う。お前には中国人の血が流れてる言われて、週3で奈良から上本町まで塾に通わされてました。見たいアニメも見れない。見たい漫画も見れない。好きな野球も見れない。なんでこんな我慢せなあかんのと思っていました。中学受験では結局、大阪星光落ちて、西大和落ちて、奈良学園に決まりました。


Q.受験も中途半端な結果やったわけやな。中学、高校の生活はどうやった?

1学年240人にいたんですが全員おもろなかったんです。軟式野球部に入りましたが、壁あてで逆シングルできたらレギュラーでした。入った時からレギュラーでした。そのまま3年の時にキャプテンになりましたが、結構いじめられました。勝つ為にどうしたら良いか考えたら同級生と温度差が生じて。僕はピッチャーだったので守備さえしっかりしていたら勝てると思っていましたが、同級生は打撃が好きでした。ある日の練習も同級生18人いたのですが7人がボイコットしたり、カラオケ自分だけ呼んでもらえなかったりいじめられていました。中学時代は暗黒時代でした。


Q.もちろん高校もいじめられた?

部員15人の野球部で高校1年からエースでした。2回近畿大会出て、天理に勝って優勝もしました。でも、3年生の夏前からひじ壊してしまいファーストでした。それが凄く不完全燃焼で、大学に軟式野球やろうと思ってました.


Q.高校の時ヘルニアになった奴知ってるわ。それで立命館大学に入学する訳やね。

指定校で中央大学の法学部以下ならどこでも行けるって言われていました。親に中央大学の法学部に行きたっていったら、一度は認めてくれたのですが、法学部なら立命にもあるやろ言われてしまいました。家から出たいからとはいえず、センター試験受けて受けるか受からへんかわからへん神戸大学にもチャレンジする勇気もなく、指定校で早く決めたかった。指定校の希望を提出日を翌日に控えた夜、親と話し合うと、立命にしとけと言われて進路がきまりました。先生からするとセンター受けても通るやろ。いう話を後でされ後悔しました。高校までは家族が社会であって絶対でした。世間と比べてなんかおかしーなという疑問や不安を親にを言えなかった。未だに父親と喋るとき緊張しますし。


Q.大学以降の話が聞きたいのに、子ども編長いねん。しかも暗いし

大学から一人暮らしするんですが、月に一度絶対に家に帰ってこいと言われていて、仕送りは手渡しでした。実家は3階建てですが、ベランダから飛び降りたろかなといつも思ってました。友達にもお前の話しんどいねん。気が滅入るねんといつも言われてました。


Q.いつから大学の体育会本部のメンバーになったの?

大学入って軟式野球部に入部しますが、同級生は滅茶苦茶だった。パチンコ、競馬、女…にハマってる人間ばかりでした。でも野球やらせると僕より上手かった。自分は立命に何しにきたんやろ?って絶望していました。ある意味渇望していたのかもしれません。そんな1年の冬に偶然上の人から体育会本部入らへん?って声かけてもらい行ってみることになりました。そこには真面目な人間がよーけいたんです。大学には色んな環境があるなと感じました。そして、自分はこれやる為に立命入ったんやとビビッときました。

Q.生きてて良かったな。

ほんと、フットワークは軽くいた方が良いと感じました。20年間の負債を3年間で取り戻すくらいたくさんの人と会いました。本部役員なって人生変わった。ずっと他人に嫉妬している人生だったので、自分が嫉妬される側になろうと決めました。大学生の可能性を消す3つの言葉、だるい、しんどい、めんどくさいは言わんとこうと思って毎日を過ごしました。


もっと聞こうと思ったけど、華光話長いから時間なくなったわ!また続き聞かせて!!


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